最近、カードばっか書いていて戯言を吐く時間が無くて、無くて・・・・・。

今日は、「萌え」と「萎え」な状態について説明。

いや、皆知ってると思うけど的な説明ですが聞いてください。

そもそも、「萌え」とか「萎え」というのは、モチベーションつまり、気持ち的な問題。
例えば、いい匂いと臭いのでは、前者は気分が良いのに、後者は気分が悪いのと同じ事が「萌え」と「萎え」の状態ですね。

筆者主観で言うと「ひざ上よりチョイ上スカート」は「萌え」状態になりモチベーションが上がるのですが、「上げればいいんでしょ理論の超ミニスカート」は「萎え」状態に入り、モチベーションが下がるのです。

「萌え」というのは大衆性を帯びるものと、一部のマニアでしか解らない「萌え」が存在します。

さっきの例え話の「匂い」の話しで、「いい匂い」=「萌え」状態が大衆性を帯びるとすると、「臭い」=「萌え」はマニア向けになる訳です。

んな事を今更と思うでしょうが、最近は何にでも「萌え」を付ければいいという、一種の大衆心理に飲まれてる気がします、ノリとかで「萌え」状態になるのは、モチベーションを上げるのにはいいのですが、モチベーションが上がらないのに「皆が萌え」=「自分も萌え」ていう間違った方向性が多いように感じます。

まぁ、しかし、一概にモチベーションが上がるって言ったて、美味しいからとか、楽しいからと言った、モチベーションの上げ方では違い、一種の趣向の方向性が「萌え」になる訳です。

例としては「髪型」「体系」「服装」「口癖」「ポーズ」なんかで、モチベーションが上がるのが「萌え」状態です。
逆に、「食い物」「達成感」「感動」なんかでモチベーションが上がることは「萌え」ではありません、これは趣向ではないので、「萌え」ではありません。

特に「髪型」はツインテール、ポニーテール、ショート、セミロング、ボブカット・・・・・・・・・・etc。
これらは、趣向であり、人によって意見が分かれたりしているので「萌え」といえます。
ある人は「ポニーテール」、ある人は「ツインテール」だといいます、筆者的には「ツインテール」→イメチェンで「ポニーテール」ていう、変な「萌え感」を持っています。

特に、「体系」になると「ロリ」やら「デブ専」なんて言う、「属性」なんてのもつく、まぁ、最近は何でも「属性」がつきますね。
「魔女っ娘」「メイド」「妹」「お姉ちゃん系」・・・・・・とかね。
「属性」=「趣向」と考えてもいいでしょう。

「複合属性」なんてのもあります、「魔女っ娘」+「ツインテール」とか、「ロリ」+「妻」とかさ、そうする事によって、「魔女っ娘」と「ツインテール」の趣向がある人両方からの支持を得ることが可能になるわけです。
特に、両方「萌え」なら一石二鳥ですね。

次に「萎え」は、モチベーションが下がる事です。

しかし、この「萎え」というのは一概に「萎え」とはいえない場合があります。
これは、後術するとして、一般的な「萎え」について。

「萎え」てのは、期待を裏切られた時に発生する場合が多いです。
「かわいい」と思ったら「かわいくなかった」とかにより発生し、「萎え」状態に陥ります。
よくあるのは「ブラクラ」を踏んだ瞬間とか、「折角、パンチラ見えたのに、半ズボン穿いてる」とかさ・・・・。

しかし、「萎え」というのは一部愛好家には好まれるものがあります。
例えば、「流血系」「サイコ系」なんかは「キモ、萎え」となったりする人もいれば、「ウホ、萌え」となる訳です。
これも、「萌え」に分類されるのですが、その反面「萎え」になるという、デメリットを持っていますが、供給が少ない為当たれば強い「属性」になります。

長々と書きましたが、筆者は最近「委員長と、パンチラが萌え」て事を伝えたかったのです。

読んでみて、頭の隅にでも置いておいてください。

長文、ご愛読ありがとうございます。
こんな話題を持ってくるのは外道である証拠である。
しかし、書かざるを終えない。
本題に入ろう。
昨今ゲーム業界はキャラゲーで中身がスカスカなゲームを排出して来ているのが目に余る。
そして極めつけは、商法目的のシリーズ物。
1が売れたから2も売れる、1の前評判で2が大評判だったから3も手抜きで・・売れなかったらまぁ、シリーズ完結と言う後付けをすればいい。
そんな考えで作られたゲーム達。
まるで、売れてる漫画家にネタが無くなるまで書かせる某出版社である

そして、追い討ちをかけるように、高騰するハード。
ゲーム機という名のマルチメディア。
オンライン機能にその他子供には早すぎる機能。

大人向けだが、子供は触れられない。
そして、シリーズを知らなければ嫌煙しがちなゲーム郡。
極めつけは、ソフトにオンライン機能があり、オンラインをやらないといけないとか・・。
年齢層が上がったのも、昔のゲーマーだった少年達が今のゲームをやってる。
ゲームに求めているのは面白さであり、映像技術、音響効果等ではない。

そう、ゲーム業界に言いたい。
死んでると思ってニヤニヤしてた皆さん、書いてる人は死にませんので。
ま、ネタとかが無い訳では無いが、久しぶりに書いた訳だから何か吐いて行こう。

1、カジュアルなオタク達
最近ベターなオタクも居ますが・・・一見、違うだろう、別次元の人間だろうてのが、ゲームやオタク雑誌片手に徘徊してますが、知らない所で何かプロジェクトが進んでるのでしょうか?
昔は「キモヲタ」ですが今は「イケヲタ」なんでしょうか?
眼鏡と春夏秋冬を越すための短い、アイドルかアニメヒロインのTシャツと手提げ(質より量の物)かリュックも見かけませんね〜。
カジュアルになったのでしょうか?

2、商売益々繁盛オタク
昔から、オタク業は金が無いらしいですが、現在では何やら、「撮影1枚に付き○○買ってね」的な商売をしてるらしいですね。
昔から、聞きはしましたが、最近、書いてる人の目にまで映る様になりとうとう此処までとの感じ。
「○○」は大抵、「手作り」系、「謎」系、「専門」系。
手作りは「ぽさ」が」大事。
謎は、「不思議」が大事。
専門は、よく解らないが大事。
見ちゃうとうわぁなんですが、中の人は抵抗が無いらしく「買うから撮影」みたいな。
まぁ、野外撮影するのは勝手ですが、そいう撮影は場所をわきまえて・・。

3、萌と燃え
語源はどこから来たか知りませんが。
多分「変換間違い」か「萌と言う名前のキャラ」でもいたんじゃんと思う。
萌は感情の高ぶりや興奮を表現する時に使うらしい。
燃えは何かが火に引火する事を言うらしい。
厳密に言えば違うらしいが何処が違うのか解らないし、本気で「イントネィション」を気にする人を見ると引く。
萌=オタク
燃え=男
ま、こんな感じかもしれない。

最後に

引きこもるのでよろしく。

そして、あいつによろしく(キモ

(※オタク=ヲタクですが今回面倒なのであえてオタクと表現させてもらいました、又、どちらにどのような表現なのか解らないのですいません)
今宵は月見えません。
都会の廃棄ガスで汚染されて見えません。
地球を一度吹っ飛ばして見たいな〜とか馬鹿げた事書いてると閲覧者減るよね?
今日は、ま、疲れた訳で・・。
学校のポスター騒ぎ。
体育サッカー。
知り合いのメール連打対決。
は〜疲れた、疲れたから理論、理論。
今日は昔のオタクを語らせて欲しい。

まず、今のオタクは目立ち過ぎてしまった。
理由は、某映画、ドラマ。
某喫茶。
ま、アニメ発展とどう考えてもこれから衰退するなと思う産業の発展。
ですが昔はオタクは迫害された物ですよ。
漫画読んでるだけでオタクの時代もありましたし。
そもそも、どこからオタクでマニアなのかはっきりしよう。
マニア
1、熱狂。熱中。夢中。
2、一トつの事に異常に熱中する人。

オタク
・特定の分野・物事にしか関心が無く、其の事には異常なほど詳しいが、
社会的な常識には欠ける人。

共通点
・一トつの事に熱中する人。

らしい、てか本人オタクだ!!
学校にポスター貼ろうとするなんて社会常識欠けてるよ。
昔のオタクね。
ま、昔は「オタク、かす、きもいんだよ」「オタ臭する〜」等の悪臭を放ち最悪な人間といわれてましたが。
今は「オタクて何するの?」「オタクて萌〜☆て言うの?」と疑問系で襲います。
ま俗にAボーイ狩りですよ。
昔はガチに言う。現在は疑問攻めと形を変えてますがいじめに近い状況です。
といってもAボーイ狩りは、アキバにいる「金持ち」を狩る簡単にいえば喝上げなのですが。

で「アニオタ」「歴史オタ」等言おうとすると多く・・・。
かなりのオタクがこの世にはびこってます。
特に「アニオタ」は最近優遇されてますから(今までの説明半分アニだから
私は全面的にオタク感を出して暮らす事により、大変な物事を回避してますが・・。
理論的には
「AがオタクならBはまともであるかぎりBはAに触れない」
が成り立ち。
「AがオタクならBがヤンキーである限りその場合Aボーイ狩り」
が成り立ちます。
どちらもいつでも使える公式ですから覚えてください。
「Aがポニテ派ならBはツインの場合ポニVSツイン」
これが俗にオタクの言い合いですね。
甲高い声で喋る迷惑ボイス。
店員困らせの謎動き。
何故かいつもにやけるエロ画フェイス。
見てるこっちは公害ですよね〜本気で。
だいたいメガネで中肉中背ではなく、やせかデブであるのも特徴。
周りを気にせず、喋るあの面を見てるとイラッときますよね〜。
そう言う人多いのでなれましたが彼らには注意!!
たまに強い人いるから。
Aボーイ狩りは腕に自信のある人のみでOK?
脳内がイカレテ来てるので、ポップスターとフェイクスターを間違える(ありえない、ありえない)
フェイクスターは好きだったな〜と。
今でもフェイクな人間なので自分探しですが・・。
だから、ブラフとかのゲームが好きなのかなと。
仮面被れば誰でも変れるのですが、幾つ被り捨てたか覚えて無いので多分2流な人間ですね。
新のフェイクならば自分の仮面を覚えそれに名前を付けるらしいですが。
ラテン語でペルソナとゲーム「ペルソナ」で言ってた通り人格変動を起こす事で一時的な自己催眠状態に陥ったまま生きる事も可能かもと思い始めてますが、危ないな。
本物かフェイクになるか?
どちらか一方を選べばうまく生きれるか?
どちらにしろ、1流意外は人間の型にはまりすぎた、固定概念の固まりの石頭なんでしょう。
脳天を直撃する様なイメージが浮かべば変れるかもとか考えて二回転。

とにかく、サイドからハウリングコントロールに変るので気を付けて下さい!!
そもそも存在意義とは何か?
説明するのが面倒だから私論でいこう。
それは、殻の役割をどううまく使えたか。
そうそう。
自分というのは、自分の殻のお陰で外気からの攻撃を避けられる。
逆に攻撃できる。
それは殻の役割である。
しかし、攻撃を回避するだけでは意味が無い。
殻は言語を使う、それは自分から殻に「言語」通信されるからである。
殻はそうやって他の殻の他人と交流する。
しかし、殻の中の自分は欲望等が働き、自分を覚醒させようとする。
その性で殻と自分の交流が美味くいかない。
そして、殻は殻の役目をしようとするため、自分は自分の欲望を叶える為に意見が合う行動が「自虐」である。
もっとも効率のいい方法ではあるが、すれば殻としての防御限界値、つまり、HP(ヒットポイント)を失い、自分は欲望を満たしてしまい生きる力MP(マジックポイント)を失う。
そうして、回復魔法もアイテムも使うこと無く死んでしまう。
では何故こうなるのか?

欲望とは言い換えれば「自我の覚醒」である。
「自我覚醒」させるには。

1.他人を利用する。
2.自分の行動に自信をつける
3.本当に覚醒する
4.覚醒に電源を入れる
5.切り裂く

1については地位、名声。
つまり、他人が見る客観的の馬鹿げた自己満足を満たしてやるのだ。
(相手の望みを)飲めば飲むほど相手は自分に心酔し、「自我覚醒」するだろう。
2、これは外道だが、たとえ間違ってもそれが正しいと思うこと。
ここでいう間違いとは回りの答えだ、周りが間違えと言っても、断固として正しいと思うこと、正義はそこから生まれるのだから。

3、4、似てるが二つは別の話にしよう
3、自分から覚醒しようと願い、「自我覚醒」をする事。
今までとは違い周りは無視し自分のみに心酔し覚醒しようとする。
4、これは人為的覚醒。
意図してした物ではなく、突然覚醒する事。
昔、アメリカの地方で音楽を聞いていた少年2人が突然、教会で人を殺した後、1人は自殺、もう1人は重症になったらしい。
理由はそのCDを逆再生すると「殺せ、殺せ・・・」と流れるらしい、これは、サブリミナル効果というらしい。
といえ、他人を傷つける事で殻は有名になり「覚醒」した。

5、真の外道だが他人を傷つける。
それか、完全に自我を破壊する。
どちらかをすれば欲望自体失せるが、瞬間的「覚醒」は得られるだろう。

物騒の事だがこれからの十代は何の理由もなく人を殺すだろう。
それは、殻から脱皮する方法しらずに暴走と言う名の「覚醒」をするからである。
止める方法は無いだろう。
あるとすれば・・・・・・。
単に長い題作りたいだけです。
今日学校、明日は新入生の案内をしないといけない(皆休みなのに
で、クラス替え「はぁ、女子3人ですか」
「はぁ、クラス全員で22人」
「話す奴居ないから、鬱だな」
心の中でそう言った。
理数の癖に書いてる人よりオツムのよい方が1人しか居ない様で!!
大学目指して勉強するしか、残された道が無い。
最近は爆弾を作る事にはまってます(本物じゃないよ
爆弾=本を積み上げたりしてぶつけるトラップ
こう見ると「陰気な奴」と思うでしょう。そうです。
しかし、この爆弾はいつ爆発するかわからないので、前は本棚ごと落ちました(春休み
まぁ、ギターとカードしか弄る物無いけどね。

何か弄りたいな・・・。

危ない人間だと思う。
これは本気で。
また最近は、頭が完全に飛んでしまい、意味不明論を出します。
まぁ、人間なんて所詮意味が無い人間なので。
この世に意味があるのか?と言われても何とも馬鹿らしい歴史を語る事しかできず、的を射た答えができない。
最近の子供は塾へ行ってる為、自分が偉い(頭がいいと)思い始めてる様で私立小学校の子供と電車に乗ると、自分がさぞかし頭が偉いと曲がった考えで座ってます。
上には上がいるのにね。
ま、そんな事を言えば反感や途方の無い無情論になるのでやめときます。
では何故このお話しをしたかと言うと、最近のお受験論がマスメディアの報道によって儲かる、塾です。
元々、中肉中背の種から生まれた、中肉中背の遺伝子の人間は限界があるのです。ストレス、等は感情を持ち合わせてればありますし、もし子供を人形にしたければ、感情を無くしましょう。
矛盾した世論(感受性をよくして、いい子、そして、塾に行かせ頭をゆくさせる)に惑わせられる中肉中背のカラス(大人=食いつきのいいカラス)こそに根本原因がある、そもそも、自分の餓鬼が何をしてるかも知らず塾に、無駄がね叩いて一ヶ月の決められた金額しか使わない為にこの世の中になってしまった(大手スーパーの破綻等)。
そもそも、その餓鬼どもの考えは、将来のリアルな希望の無い社会に適応する為羽振りのいい鼠になろうとしている。(鼠=公務員、教師、警察では無い人の事をここでは指す)
中肉中背のカラスに育てられた、はかない命は将来の先行きに鼠になり自分もまたこのカラスになろうと悪鬼になっている。
連鎖される、くだらない交織いつまで繰り返すぶりっこのクラッカー?
まぁ、将来デフレスパイラルに拍車かけて、賢いウサギに金を叩く事ですね。(ウサギ=塾関連、ここでは中学からではなく小学校からの事、簡単に言えばお受験する餓鬼を飯にするインチキ野郎)
別に普通に手塚治虫から語る気は無い。
最近のアニメは廃れてるのか?
そではない、みている側はいけない。
前回を読んだ方は書いてる人が「アニメ業界が廃れてる」と勘違いしてるかもしれない。
しかし、実際はアニメ技術の進歩は確実ではあるし、ストーリー自体に重厚な物(漫画)はある。
では、何故ここまで「廃れた」というのか?
簡単だ、アニメを見る側がストーリーや今後の発展を考えないからだ、もう進化の終了。
しかし、昔は「迫害」され、逆行を乗り越える為にアニメを作りクリエーター達は、考え、希望に燃えた。
しかし、現在のクリエーターはキャラ萌え。
悲しいが最近のアニメは、無駄に長い、商法的、残存作品。
と、第一に売れる事、第二に視聴者が馬鹿である事、第三に続編を視野に考えている。
第三は嬉しいが第一と第二がある為嫌な響きである。
キャラ萌えも作っていいだろう(いや作らないといけない)しかし、商法目的な作成は勘弁である。
何より視聴者の為頑張ってほしい。

なんともマイナス面ばかりだが今度はプラス面も書きます。
書いてる人は、影があるから光がある、光があるから影がある考えなので。
こんばんわかおはようかわかりませんので(全部ひらがなで、読みづらい)こんにちわ、にします。

今日エウレカ最終回、80年代の匂いをこの上ないほどに残した1時間スぺ、結局途中から見れなくなった書いてる奴は、先々週から見て感動してる訳です。
そもそも80年代のアニメ黄金期ははちゃめちゃ、感動、ギャグと全てを詰め込もうとした結果、あったって砕ける作品を大量排出した訳です。
その中でも「生き残る奴は生き残る理論」がある訳です。
そして今日のアニメ業界が確立されたのも、また、80年代の死んでいった企業のお土産な訳です。
しかしながら、最近のアニメのレベルについては首を傾げる。
前回の「キャラ萌え」、と「技術」等を見てもらえば解るが、考える方の考える力がやや下がり気味。
理由は前回掲げたものと、「アニメ業界の確立」がある。
それは80年代あるいは、その前は「アニメの迫害」が多くその為今日まで、アニメ、漫画に全精力をいれられた。
しかし、現在は確立されてしまい「名前」「社名」で売れるわけ。
昔からオタクは居たし、マニアも居た。
目立つ場が無かった、しかし、現在はマニアやオタクと言われる輩が生きる事が出来る場所が多い、それも小規模では無く、大規模。
何が問題か?
それは、間違った方向に進みつつあるからだ、モラル低迷、商業目的と少しずつ歩んでいる。
結果的に、新しいアニメが出れば食いつくし、それを餌にする人間も出てくるやがては、アニメの大衆性が薄れ人はアニメに飽きてしまう。
少し話を修正しよう。
80年代に模索され試行錯誤の結果生まれたアニメはその後「リメイク」や「続編」として受け継げられる事が多い。
また、似た物語の物が多く排出され、また評判を受ける事になる。
今のジャパニーズアニメーションと呼ばれる基盤にこれらがある事は頷ける。
しかし、ここで視点を変えて今の作成者側に喝を入れる時期では無いだろうか?

ちなみに、荒川静香(スケートの)「イナバウアー」は体を「くの字」にするのではなく、スケーよの靴を180度(八の字に)にして横に滑る事です。
吹雪〜第八拾話〜
気象庁とタイマン張りたいぐらいですが・・・。
4時30分に吹雪が来ました!!!!
なんと、画像付きでお送り!!
そんな事はいいですが雪の粒がはっきり見えまた、風が強す!!
こんな日に傘忘れた人可哀想〜。
では、ではたのしみに!!(何?
とうとうここの人は狂ったのか?と思って構わないです。
で今回は人はなかなか死なない話し。(きもいな〜)
簡単に説明すると、例えば手足が無くても死なない訳(決まってんじゃンと思うでしょうが)手首を切ると死ぬよね?
これはおかしい・・・・元が無いのに(手が)何故手首だと死ぬのか?
要は手足はあくまで人間の補助役で飾りて訳生きるには別に必要ないしね。(嘘)
理論的に話せば簡単だがあえて話さない、その人間に生きるという気力があれば生きれる訳さ。
最近はきもい話ししかしないのはそろそろ書いてる人が逮捕されるかもだからです。

変な事だが、「愛」と「復讐」はどっちが強いと思う?

普通は「愛」と答えるだろう。

しかし、人間の中には理由無く人を殺す本能と理性が共存している。
愛も復讐も本能でしかない。
どちらの本能が先に働くかは、復讐が正解だ。
愛に理性は必要が無いが、復讐には理性が必要だ・・・・・・たとえ愛した人が復讐のターゲットでも本能が自分を突き動かし理性がそれを制御しながら相手をどんどん追い詰める訳だからな。

人を殺す事に人間は躊躇する。

「復讐」も躊躇しなければならない。

今度はマシな事書こう・・・。
この日記がいつまで書けるのか不安・・・・。
逮捕される前に書いとこう。
殆どの学校が今日からだろう・・・・・関係無いが。
今日はシリアスな話し(嘘)
昔何かの本で読んだが人は痛みと言う物を感じるのは脳らしい(決まってるだろうと思った方はちょっと待って)この脳というのは大脳ではなく感情の事である。
つまり人間に情緒とか感性が無くなると痛みが無くなる。
それを自在に動かす事も可能だ・・よく「ぼーとしてた」時というのはその時で感覚や全てが研ぎ澄まされているらしい。
ん?感覚研ぎ澄まされてるならよけい敏感では?と思うだろう、しかし、このときの感覚は空間に存在するらしく(簡単に言うと第6感)が働きそれが全体らしい何かの些細な音等には敏感だが痛みには敏感じゃない状態て事。
また、1つの事に集中すると他の物が見えないのも同じ。
擬似的ではあるが可能なのだ、それと完全に感覚を忘れると感覚を欲して自分を痛めつけるらしい。
これは、何かの原因で感覚が無い兄弟の話しで聞いた事がある。
自分の痛みが解らなければ相手への躊躇が無いと思う。
喧嘩等でも相手を殺すまでやるとか、人によっては痛みを快楽と思う人達も居るがこれも感覚が痛みを欲すらしい。
感覚が欲しいと言うのも嫌な物だが、感覚があるのも嫌なものだ。
ある種の洗脳は痛みを越えるのではないかなと(人は生存の為にスットパーがあるらしいが集団では無効になるらしい、最近の成人式、集団自殺がいい例ですね)

まぁ、皆さんも暴力は人を傷つけると言う事で・・・(言葉もだけど)
度を越した事はやめましょうね。必ず傷つく人が居るのだから・・・・

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