前回と話は変るが、SFC(ス−パーファミコン)世代の僕が何故に、カードゲームにのめり込んだか考えてみた・・。
ある日突然、ゲームの師匠から渡された、1枚の紙。
それが、MTGとの出会い。
だったが、その前もポケモンとか、遊戯王とかデジモンがあった。
最初にカードゲームを本気でやったのは、遊戯王だった気がする。
PSのゲームも少し集め始め、GBを入手してた頃だった。
まだ、ジャンプ自体そんなに知らなかったのだが、GB版ゲームにはまったのがきっかで、アニメと単行本を買った記憶がある。
当時はまだ、朝日テレビだった気がする。
東京テレビのキャストと違い、遊戯の声は表は寝ぼけた「城之内君」がとても懐かしい、裏になるとはきはき喋る。
東京テレビだと、ジャニーズの人がやってるから、昔と違う。
映画が放送されたり、「カプセルモンスターズ」のPSソフトでは元のキャストなので一度見ておくといいでしょう。
そんな、遊戯王ですが、カード方は「サンダーボルト」ゲー。で「ブルーアイズ」ゲーだった気がします。
まだ、第1弾だと、対処カードとルールが生け贄無しだったので、恐ろしく強かったと思います。
ただ、身内ではカードが揃わず思い思いのカードがあって、序盤の遊戯達の様なデュエルでした。
攻撃力1500で主力クラスでしたから。
しかし、本格的になったのは第4弾発売以降。
「セイント・マジシャン」光臨そして、生け贄ルール定着。
これが、遊戯王が子供達に受けてしまう原因でした。
ゲームでも何でも、軽い制約だと子供たちは食いつきます。
この、微妙な駆け引きが楽しかったのでしょう。
その後のトレードの魔の手が大きくなるのも時間の問題でした・・。
しかし、僕がMTGに出会うのにはまだ時間がかかります。

その後、遊戯王のGBの?が発売されます。
同根カードが協力だったので「グレートモス」→「ハーピィの羽箒」→「ホーリー・ナイト・ドラゴン」と値段が跳ね上がる。

この、事もありトレードやらが盛んになりある事件が起きます。

「サーチ」事件。
近くのスーパーでズタぼろのカード達・・。
最初はレア欲しさに、色々と聞いたのですが、結果がつまらん・・・というか、やるのが面倒で知り合いがやる→それを200円で買う流れでした。
しかし、いくらレア−ゲーでも、問題が起きます。
スーパーに置いてねえとか、事務室に連れでいかれたとかいう話になってきます。

「盗人登場」事件
しかし、サーチ無理、金無いよと言う人たちは当然「盗む」事しか選択できません。
身内でやるなら、許せるのですが、知らない奴に盗まれたら、多分きれてたかな・・・。

「鮫」事件
当時レート等存在すら知らない僕でしたが、大体の価値を知っていました。
そして、鮫という強引なトレード作戦をくりひろげたのです。
僕は、あまりトレード自体が好きではなかったので、友人の取引の時に相手を信用させる嘘(最悪ですな)をついていました。
後は、アンティールールというルールブック巻末の事をやったり。
・・・・。

「アンティールール」
負けたら最強カード盗むからと「公言」できるルール。
僕は友達と対戦とは別に「死者蘇生」デッキという物を持ってました。
(後々使いますが・・・・)
マークドの「ブルーアイズ」をデッキトップ(スリーブがでかくても当時は何も言われません)
あとは、「天使の施し」連打→「セイントマジシャン」→死者蘇生→「天使の施し」で落とした「ブルーアイズ」を召喚。→「セイントマジシャン」攻撃→地割れ。
書いてても、怪しいくらいのコンボですが当時はよく決まりました。
知り合いとつるんで、やってましたが、多くのカードが「盗人」に取られました。

その後、妙に魅力が薄れた僕は「デジモン」カードをやってました。

やはり、小学生同士だと、トレード問題が大きく、全く強くなれない。
当時を思い返すと、好き放題ルールを変えてましたね。
でも、デジモンだけはルールを熟知してたので電車で、近くのデパートでよく、中学生相手にカードをやってました。
初めての「カード大会」もデジモンでしたね。
成績は8人中6位。
次の大会は、10人中10位。
確か、非売品の「ビデオ」を貰いました。

その後、やはり、カードの商法戦略と僕のジワジワ攻略という概念が噛み合わず離れて行きました。

そして、運命の師匠が現れるのです。

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